作り置きのキャンバスが残り僅かになって来たので、様々な大きさのものを三十枚ほど作ることにした。
私は大体一年に一度か二度ぐらい、このようにキャンバスをまとめて作る。
油彩画を描く際に、市販の物ではなく自家製のキャンバスを使うようになったのは、今から三十年以上前の高校生の頃からだったと思う。
それ以前は、油絵というのは、市販のキャンバスに市販の油絵具、市販の溶き油を使って描くものと、あまり考えも無く社会一般の常識に従っていたのだが、私が高校二年生だった1974年に、グザヴィエ・ド・ラングレ著、黒江光彦訳「油彩画の技法」の初版が発行された。
私を含むごく一部の画学生にとって、その本はまさに大きな衝撃であり、あるいは長年にわたって待ちかねていた待望の書でもあった。
というのも、油彩画というものの芸術的側面をしっかりと下支えする職人芸的側面、つまりヨーロッパの伝統に根ざした様々な技法については、長らく日本の洋画界ではなおざりにされていたからだ。
私は、油絵を描き始めたごく最初の頃から(漠然とではあるが)そういう物への知的欲求があったし、おそらくそれは私だけではなかったのだろう。
この本は発売されると、瞬く間に画学生の間でのベストセラーになったようだ。
五百年にわたる西洋の油彩画の歴史の中で、様々な巨匠と呼ばれた絵描き達の斬新な技法がどう受け継がれ、どう変化して来たか、そして現代のマスプロダクトの社会の中で、油絵本来の美しさがどれほど損なわれているか、を熱く語ったこの本の第一章の文章は、当時高校の美術部の部長だった私の胸に火を点し、その火は他の部員達や、果ては顧問だった美術の先生までも巻き込んで、油彩画の技法研究への熱狂(と言うのはちょっと大げさかもしれない)を巻き起こしたのだった。
放課後の美術室で西日に照らされながら、まるで化学の実験のような、または経師屋の職人さんのような、色んな事をやっている自分の姿が思い浮かぶ。
あのあたりが、私の絵描きとしての一つの原点なのかもしれない。
以来、三十数年に渡って試行錯誤を重ね、現在の私の技法に至っている。
私の年も年だけに、このキャンバスの作り方も、もうこれ以上の変化はないのでは無いかと思う。
以下、私のキャンバスの作り方をご紹介しよう。
まず最初に、アトリエ内を片付けて広いスペースを確保する。
いつもはアトリエの片隅に立てかけてある、幅二メートル、長さ十メートルの巻きキャンバスを寝かせる。
窓際に立てかけてあるのはキャンバス用の木枠。
木枠の裏側に折り込むために、上下左右にそれぞれ五センチ弱づつ余分に取って、キャンバス地の上に木枠を置いていく。
いつも、なるべく無駄が出ないような配置になるよう腐心している。
決まったならば鉛筆で線を引き、鋏で切っていく。
切り終えたキャンバス地。
一枚づつ木枠をあてがい、画鋲で留めていく。
四隅ははみ出ないようにきれいに織り込んでから止める。
ご覧のように、私は市販のキャンバス地の裏面を使う。
こうすると、あらかじめ裏面の保護がされている事になり、安心である。
絵描き仲間の間では、一般的に「裏キャン」と呼ばれている。
また私の場合、出来上がった作品は木枠からはずし、巻いて紙筒に入れて日本に送るので、木枠に張り付ける際は、はずしやすいように画鋲を使う。
木枠に張り終えたキャンバス達。
ここでカゼイン糊の登場だ。
カゼインとは、牛乳から作られる、大昔の木工用ボンドのような物だが、現在では羊皮紙に彩色するための絵の具を作るメディウムとして、ドイツの画材メーカー「シュミンケ」から販売されている。
最初に「捨て塗り」として、水でかなり薄くのばした物を、刷毛でキャンバス地にしみ込ませるように、たっぷりと塗って行く。
どの程度水で薄めるか、というのは他人に伝える必要がないので、計量した事がない。
いつも大体目分量というか、刷毛でかき回した時の感触や色で見当がつく。
水を吸って、木枠に張ったキャンバスはぐっと縮み、緩く張ってあったキャンバス地がまるで太鼓の皮の様に緊張する。
第一日目の工程は、大体ここまで。
ところで、ずっと昔、「なるほど・ザ・ワールド」というTV番組で見たのだが、ニュージーランドで生産されたカゼインが、大量に日本に輸入されているのだそうだ。
その用途は?というのがクイズの問題だったのだが、誰も正解者はいなかったように記憶している。
答えはなんと、すべて直径一センチ、長さ五センチ程度の楕円柱の形に固められて、文房具屋の店先で売られている、三文判のはんこになるのだそうだ。
象牙も水牛の角もカゼインも、総て同じ動物性タンパク質という発想なのだろうか・・・
さて、二日目の仕事は最も厄介な工程だ。
捨て塗りのカゼインが乾いたキャンバスの上にとても薄く目の細かいモスリンという木綿の布をカゼインで貼り込んで行く。
まず、キャンバスの大きさにモスリン地を切る。
キャンバスの上に原液を二倍程度に水で薄めた(捨て塗りのに較べるとかなり濃い)カゼインをたっぷりと塗り、モスリンを上に静かにかぶせる。
その上からまた刷毛でカゼインを塗りながら、間にたまった空気を追い出す。
さらに自家製の木べらでもって、中心から放射状に力強くしごいて、さらに余分な空気とカゼインを追い出しながらカンバス地とモスリンをしっかりと密着させる。
木枠に張ったキャンバスからはみ出たモスリン地は、よく切れるカッターを使って注意深く切り落として行く。
この工程が最も神経を要する。
下のキャンバス地まで切ってしまうと元も子もなくなるからだ。
カッターの刃は、よく切れる状態を常に保つためにキャンバス一枚につき一度か二度は折らなければならないし、切る時は決してカッターを持つ手に力を入れてはならない。
左利きの私の場合、左手にカッターを持ち右手は常に切れ端をもって軽く引っ張っている状態で切って行く。
上の写真は右手にカメラを持っているので通常の状態ではない。
モスリン地を張り終えたキャンバス。
二日目の工程はこれでおしまい。
上の写真の右手にあるキャンバスはすでに乾いている。
左手の窓の下にあるのはまだ濡れている。
この後、三日目に備えて、膠を水の入ったガラスの瓶にいれ、冷蔵庫で一晩寝かせる。
三日目はまず、すっかり乾いたモスリン地を貼付けたキャンバスに紙ヤスリをかける。
目の細かい物で丹念に、特に端のところのモスリン地とキャンバスの段差を無くすようにかけなければならない。
次に、前日から水に入れてふやかしておいた膠を湯煎して溶かし、水で薄めた物を再び捨て塗りする。
三日目の仕事はほぼこれで終わってしまう。
残った膠は冷えてから再び冷蔵庫に入れて、四日目の仕事のために保存しておく。
四日目、キャンバス作りの工程は最終段階に入った。
寒天のように固まった膠を冷蔵庫から取り出し、再び湯煎で温め、これで白色塗料を作る。
私が使うのは「シャンパーニュ白亜』と呼ばれる石灰石の粉末とジンクホワイトである。
大きめの絵皿に、大さじ山盛り三杯のシャンパーニュ白亜、大さじ山盛り一杯のジンクホワイトをおく。
それに少しずつ、少しずつ膠を加えながら木べらなどでかき混ぜる。
粉末の全体に膠が混じり、まとまりかけて来たら膠を加えるのは止め、両手で丸い玉にまとめる。
これを絵皿に向けて何度も力一杯投げつける。
威勢のいい「ピッターン」という音が何度もアトリエ中に響く。
これを「百叩き」という。
次に、両手でこすり合わせるようにこね、細長い紐状にする。
これを何度か繰り返す。
これを「うどん」と呼ぶ。
絵皿にこれを置き、湯煎に使った熱湯をひたひたに注ぐ。
一二分置いて「あく取り」をした後、このお湯は捨てる。
これらの「百叩き」「うどん」や「あく取り」、それに「捨て塗り」などの技法は、その名称と共に、私が武蔵野美大の日本画学科に在籍していた時に教わったやり方である。
この後、ようやくこれをお湯などで徐々に、木べらなどを使いながら溶かしてゆく。
塗りやすい濃度に薄めたなら、刷毛で注意深く静かに塗ってゆく。
刷毛目が直角に交差するよう、薄く六回ぐらいは塗る。
刷毛は毎回絵皿のそこにたまった顔料をかき混ぜるようにし、余分な量の塗料を落とすように絵皿のふちで刷毛を良くしごいてから塗るようにする。
この工程は大体、二日間に渡ってやる事になる。
従って翌日の朝、表面がしっかり乾いていれば、塗料を塗る前に紙ヤスリを軽くかけたほうが良い。
また、塗料の濃度は五回目、六回目ぐらいには、それ以前の物より幾分水で薄めた物で塗ると、きめ細かに仕上がる。
こうやって、ようやく私のキャンバスが出来上がる。
上の写真のように、斜光ですかして見たキャンバスの表面は、決して単純に平滑と言える物ではない。
それに、一般的なキャンバスは油性、もしくはアクリル樹脂系の白色塗料が塗布されていて、油絵の具の油を吸い込む事はあまりない。
それに較べ、私のキャンバスは完全に水性塗料のみの仕上げなので、特に描き始めの頃は絵の具の油を良く吸い込み、筆はキャンバスの上を滑らず、画面はつや消しの状態になる。
この状態を、描きにくい、と思う人も多いと思うが、私にとって画面のこういう抵抗感こそが制作意欲を湧かせる。
いつだかも書いた事だが、何も描かれていない真っ白なキャンバスほど美しい物はこの世にはない、と私は思う。
仏教で言うところの「空」の世界がそこにはある。
したがって毎回こうしてキャンバスを作ると、「汚すに忍びない・・・」と一度は思う。
しかし物質世界に生きる私にはまた、「汚してしまいたい!」という強い衝動があるのも致し方のない事だ。