先週の週末(9月9日、10日)は、ウィーンは秋らしく空気が澄んで空が高くとても気持ちの良い天気だった。
だからと言う訳ではないが、滅多にないことだけど土曜日曜と、二日続けて外に出てしまった。
まず土曜日(9月9日)は、このブログを訪れる方にはすでにおなじみの、ウンタージーベンブルンのサイトハウンド専用サーキットコースに、私と娘とエニーだけで行ってきたのだった。
妻は、仕事の関係でこの日は欠席。
ドイツ語の不自由な私にとって、通訳となる妻の同伴は欠かせないのだが、今回は娘にその役を変わってもらう訳で、いささか心もとないのだった。
勿論ここで生まれ育ち、今も地元の学校に通う娘の方が、ドイツ語に関しては妻よりはるかに堪能なのだが、要はそういう問題ではないのである。
ではどういう問題なのかと問われても、なかなかかいつまんでは言いにくいのだが、とにかく少々不安を感じないわけにはいかなかった。
上の写真はシンメリングの駅のプラットフォームで電車を待つ娘とエニー。
お昼過ぎに家を出て、地下鉄と郊外電車を乗り継ぎ、二時ちょっと過ぎに到着。
電車を降りると、すぐ隣がサーキットコースなのだが、いつものようにまず近くのだだっ広い畑の中の道を散歩させ、それからコースの敷地に入った。
毎週土曜日二時からがトレーニングタイムで、すでに何台も車が止めてあり、アフガンやサルーキ,ウィペットたちが何匹もいたが、イタグレは私達が最初だったようだ。
クラブハウスの前のベンチで休憩する犬達と飼い主の皆さん。
しばらくすると、隣の国のスロバキアからエニーの兄弟のエロイコと飼い主のラトミアさん、ついこの間ヨーロッパチャンピオンになった、エニーの従兄のディレットとその飼い主のヴァイスさん親娘もやって来た。
どうしたらエニーを走らせてもらえるのか、何も分からずうろうろしたり、ぼけーっとサーキットコースを眺めたりしていた私と娘とエニーだったが、いかつい風貌とは裏腹にとても優しい、この施設の運営者のおじさんや、ヴァイスさん親娘に助けられ、二時半頃にようやくコースを走らせてもらうことになった。
コースに入る順番待ちで並んでいる娘とエニー。
犬達はこのコースの内周を猛スピードで走る電動のレールに取り付けてある、ウサギのぬいぐるみ(のようなもの)を追いかけて走るのだが、まだ若くほとんど全く経験のないエニーは、全周360メートルのサーキットコースをすべて走らせるのではなく、前回、7月23日の時と同じように、パドックの前から、カーブに入る手前までの100メートルぐらいの直線コースを走らせてみようという事になった。
そして、そのカーブの手前で私がエニーを待ち、娘がその中間地点のコースの外側に立つことにしたのだが、何を勘違いしたか、ぬいぐるみを追っかけず突然コースを飛び出し娘のいるところに走っていってしまった。
右側の犬は、残念ながらエニーではなくエロイコ、左側はディレット。
ハージィ(ウサギのぬいぐるみのような物)を追いかけて走るサルーキ。
やれやれ、という事でクラブハウスでケーキなどを食べてしばし休むことにした。
その後サーキットコースの敷地の外に出て、再びエニーを畑の中の道で散歩させることにしたのだが、その畑の道では、私と娘が100メートルぐらいに間隔を空けて「エニーっ!おいでっ!」と叫ぶと、エニーは嬉々として私と娘の間を全速力で往復するのであった。
散歩中のエニーと娘。左側の茂みの奥に電車の線路,その向こうにサーキットコースがある。
しばらくして再びエニーをコースに入れて走らせることにした。
しかし二度目もやはり駄目だった。
エニーは猛スピードで走るぬいぐるみなどには見向きもせず、パドックの裏手にいた娘のところに走っていってしまったのだった。
ヴァイスさんやサーキットコースのおじさん達に色々と慰めてもらったりアドバイスを受けたりしたけれど、私も娘も徒労感でうんざりしてしまい、どちらが言うともなく「もう帰ろうか・・・」ということになった。
しかし電車は一時間か一時間半に一本程度にしかなく、私達は随分待たなければならなかった。
疲れ果てた私は、エニーが全く走らなかったこともあって、むかっ腹を立ててしまい、娘にも当たり散らしながらの帰宅であった。
今はおおいに反省している。
奥はエロイコとラトミアさん、手前は娘とエニー。
さて翌日の日曜日(9月10日)は、前日、午前中しか絵が描けなかったので、今日こそは日が暮れるまでしっかり仕事にいそしもうと思っていた。
しかし、絵を描きながら窓の外の真っ青な空を見ていると、妙に気持ちが浮き立ってくる。
前日の土曜日の空は、コッペパンのような白い雲が構図も見事に程よく散らばる秋晴れだったが、今日は雲一つない青空だ。
妻と娘は、娘の友達を誘い、エニーも連れてウィーンの森に散歩に行こうとしている。
「自分は今日こそしっかり絵を描くぞ!」と心の中で自分に言い聞かせるのだが,何だかとても惜しい気がするのだ。
今まであまりこんな気持ちになったことはないので、今回は皆と一緒に出かけることにした。
二時ちょうどに娘の友達のMちゃんがやって来て、共に地下鉄のU4で終点のハイリゲンシュタットに向かった。
こういう天気だと、やはり同じ思いの人はウィーン中に大勢いるようで、駅前の、森の方に向かうバスの停留所は今までにないほどの混みようだった。
有り難いことに、お目当ての38Aのバスが二台続けて到着したので、私達は座ってコーベンツルまで行くことが出来た。
ハイリゲンシュタット駅前のバス停,手前にいるのは娘と友達のMちゃん。
38Aのバスに乗ると思い出すことが有る。
今から十五年前、ウィーンにやってきた最初の頃は、今よりももっと頻繁に、このバスに乗って妻と二人で森の散歩に出かけたものだった。
森に近づくにしたがって、見事な高級邸宅街が広がって行く。
絵描きとしての人生を始めたばかりの、まだ若くて愚かだった私は、この邸宅街をバスの窓から眺めながら、三四年ぐらい一生懸命絵を描いて、それをどんどん売れば、これぐらいの邸宅を手に入れるのも夢ではない、などと本気で思っていたのだ。
馬鹿丸出しである。
このバスに乗ると、大抵そのことを思い出して微苦笑してしまう。
新築の邸宅。大抵の場合、建物の裏手には広い広い庭が付いている。
標高382メートルの小高い丘コーベンツルは、広大なウィーンの森にいくつもある軽いハイキングルートの起点の一つなので、やはりここも大勢の人と駐車した車の列があった。
とは言え、この大勢の人たちも広い広い森の散歩道に散らばっていくので、ハイキングコースを行くにしたがって次第に人影もまばらになり、全く気にならないのであった。
コーベンツルから見たウィーンの眺望。
森の中の道。
一時間ほど、木漏れ日のまばゆい森の中の道を、新鮮でかぐわしい空気を呼吸しつつ歩くと、イエーガーヴィーゼと名付けられた広い原っぱに出た。
子供向けの遊具やポニー牧場、素朴な感じのレストランなどがあちこちに有り、沢山の家族連れや友人同士などが思い思いに散らばって、いかにも長閑な風景である。
娘とMちゃんは、途切れることなく二人でしゃべりながら木に登ったりしている。
私達は少し空いた場所にエニーを連れて行き、何往復か全力疾走させたのだが、矢のようになって奔るエニーの姿はどこに行っても人々の眼をそばだたせる物のようだ。
イェーガーヴィーゼ=狩人ヶ原
しばらく、娘達を遊ばせながら私と妻とエニーは木陰のベンチで休み、その後レストランで軽食を摂る事にした。
ここで少々いやなことが有った。
私達四人はテラスに腰掛け、ウェイターもしくはウェイトレスのおじさんおばさんが注文を取りにくるのを待ったのだが、なかなか来てくれない。
どこに限らず、ウィーン市内の飲食店ではこれは当たり前なので、いやなことでもなんでもない。
ただ、私達は、日が暮れてしまう前に森の外に出ていたいという思いがあったので、わずかばかり焦ってもいた。
やっとのこと、ウェイトレスのおばさんが私達のテーブルの近くに来たので声をかけた。
すると、「私の同僚が来るからちょっと待ってくれ」と言って、私達のテーブルの先客の残していったお皿も片付けずに行ってしまった。
しかしいくら待っても「同僚」は来ない。
再びそのおばさんが近くに来たので、また声をかけてみた。
すると、「私は赤いテーブルクロスのテーブルの係であって、あなた方のテーブルクロスは緑なので私の係ではない、緑のテーブルクロスのテーブルはその係のものに頼まなければならない。」と言うのであった。
「あぁ、なるほど。」確かに広いテラスを見渡してみると、沢山あるテーブルのテーブルクロスは赤、緑、青の三色に分かれていたのだ。
赤いテーブル・・・なるほどね・・・
「そういうことなら仕様がない。」私達はそう言いあいながら、緑テーブル担当の人を待った。
なかなか来なかったが、やっと出て来たのは、大柄で太り肉の中年とおぼしきおじさんだ。
赤テーブル担当のおばさんと違って、優しげな眼をしていて愛想は良さそうだ。
私達の隣の緑のテーブルの女の人二人連れの注文の品を持って来た時にようやく声をかけたのだが、どうも品物を一つ間違えて持って来たようだ。
そそくさと建物の中に入ってしまった。
よく見ていると、このウェイターのおじさんはしょっちゅう注文を間違えているようだ。
「どうもこのおじさんはちょっとヤバいんじゃないかな・・・」私はふと、そう思った。
ようやく私達のテーブルに来て、汚れ物を片付け、注文を取ってくれた。
葡萄ジュース1リッター、ソーダ水1リッター、チョコケーキ2つ、フルーツケーキ1つ、スペシャルサンドイッチ1つ。
5分ほど待つと、大きなお盆に注文の品を持っておじさんがやって来たが、やはり案の定、葡萄ジュースを4分の1リッターしか持ってこなかった。
「こういう人ってウィーンじゃ結構いるよね。」私達はこう言い合いながら、全く怒る気にもなれなかった。
私がトイレに入りに建物の中に入ると、お客さんが一人も居ない、がらんとして広い建物のカウンターの向こうの厨房に向かって、件のおじさんが実にすまなそうに「4分の3リッターだけ入れて欲しいんだけど・・」とか何とか言っているのが聞こえた。
その声とカウンターの向こうの人の雰囲気から、私には、彼が同僚の人に馬鹿にされている様子がありありと感じられた。
ともあれ、残り4分の3リッターの葡萄ジュースと少し時間のかかる「スペシャルサンド」が来て、注文はすべて揃い、その時にお勘定も済ませてしまい、やっと私達はゆったりした気持ちになれたのである。
食い意地の張った私は食べ物の写真は大概失敗する。料理が来ると、写真を撮ろうなどとは露程思わず、まず手が伸びる。
食べ終わりそうな頃に気が付いて、何時も後悔している。
葡萄ジュースは秋の名物。放っておくとシュトゥルム(濁り酒)、そしてワインに変化する。
午後五時になる少し前、私達は行きとは違う道を通って、帰りのバスの混雑を避けるため、39Aのバスの終点、シーファーリングに出るべく、店の席を立った。
ところが、店を出て森の中の道に入ろうとした時、例のウェイターのおじさんが血相を変えて、何か大声で叫びながらこちらにやってくるのだ。
私達に近づいてくると、何を叫んでいるのかがわかった。「You don't pay!!」と言っているのだ。
私達が代金を払わずに店を出たと勘違いしているらしい。
えらい形相をして妻を見ていた彼だが、私の顔を見るなり、はっと驚き、自分が間違っていることに気づいたようだ。
私達が彼にお金を払った時、直接彼にお金を渡していた妻の顔は見ずに、私の顔を見ていたので「ちょっといやな気がしたのよ。」と後で妻は言っていた。
彼は、思いっきりすまなそうな表情で「I'm sorry.」を何度も繰り返して言っている。
気の良さそうな彼のその表情に嘘はなさそうだし、こちらの人間は、普通自分が悪いと分かっていてもまず滅多なことではこんなに素直に謝ったりはしない、そこの処を評価すべきだろう。
しかし、人の良さとそそっかしさの同居しているような彼の顔を見ていると、妙に不愉快な気持ちになり,私は何も言わずその場を立ち去った。
思えば、私も同じなのだ。
私も彼と同じように、騙されやすいほど人が良くて、恥ずかしいぐらいそそっかしい人間なのだ。
ただ有り難いことに、私は彼とは違い、大勢の人間と関わらずにすむ仕事をしている。
「違いはそこの処だけだ。」そう思うと、この思いっきり恥ずかしい思いをしている男が、まるで自分のように思えて来たのだ。
その思いが、私に苦虫をかんだような表情のままその場を立ち去らせたのだと思う。
しかし、素直に謝ってくれたお陰でその後、いつものように悔しい思いがいつまでも残らずにすんだ。
さらに,夕暮れがせまる中、斜めに差したオレンジ色の木漏れ日がまぶしく光る、森の静かで荘厳な様子が、私の苦い気持ちを洗い流してくれたようだ。
森の中はかなり暗いところもあった。
シーファーリングのバス停には6時前に到着した。あたりはまだまだ明るかった。