今日のお昼過ぎ、娘の友達が、お誕生会を十九区にあるご親戚のお宅で行うというので、娘を送りがてら、夫婦とエニーで散歩に行ってきた。
市電の「D」に乗って終点の「Beethovengang」(ベートーベンの小道)で降りて、暫く待っていると娘の友達のお父様が、車に乗って迎えにきた。
娘を預けた後、私達は、かってこの道を歩きながらベートーベンが「田園交響曲」の想を練ったと言われている、小川沿いの涼しげな木陰の道を歩くことにした。
思えば、この道を歩くのは実に十五年ぶりである。
十五年前の四月十九日、季節外れの大雪の降りしきる中、夫婦二人でウィーンに到着。
まだ、住むアパートも決まらず、取りあえず九区の小さなペンションに腰を落ち着け、到着の翌日か翌々日だかに、そのペンションの前を通る市電に乗ってやって来て以来だ。
その頃、クラシック音楽の学生だった妻にとっては思い入れのある場所だっただろうが、そういう思い入れのない私にとっては、薄汚い小川沿いの妙に狭っ苦しい散歩道だったという記憶しかない。
おそらく季節も良くなかったのだろう。
空港からペンションへの道すがら、ずっと降りしきっていた大雪は、翌日にはすっかり融けていたけれど、薄ら寒い気温と芽吹き初めたばかりの木々が、この道を貧弱なものに見せたのかもしれない。
十五年ぶりに来てみれば、暑すぎるほどの燦々たる陽光と十分に茂った木々のお陰か、名にし負う、いかにも名所らしい風格が感じられるのであった。
上の写真は、その「ベートーベンガング」を行く妻とエニー。
この道をどん詰まりまで行くと、十九区の墓地に出てしまうが、その手前で左に折れて、市電「38番」の終点でホイリゲ街のあるグリンツィングに出ようとした。
少々道に迷ったのだけれど、その迷っている最中に撮ったのが下の写真。
葡萄畑の丘と建物が作る幾何学的な構図はいかにもゴッホやセザンヌが描きそうな、ヨーロッパ的な美しさのある風景だと思う。
ウィーンらしからぬ猛暑の中、なるべく木の陰、建物の影を選んで歩き、通りがかりの人に道を尋ねたりしながら、何とかグリンツィングに到着。
そしてホイリゲのぶどう棚の木陰でようやく一休み。
よく冷えた洋梨果汁と炭酸水を半リットルずつ頼み、めいめいのグラスで、この、とても甘い果汁を程よく炭酸水で割って飲んだ。
こういう時の、こういう飲み物の美味しさは、まさに何物にも代え難いものだなぁ、と私達は痛感したのであった。
下の写真はそのホイリゲの入り口。
葡萄の葉っぱの陰には、よく見ると出来たばかりの青い葡萄の実が沢山ついている。
自宅に戻ったのは午後五時前頃だっただろうか。
まだまだ日盛りと言って良い時刻で、シャワーを浴びてさっぱりした私は、再び絵の仕事に取りかかることにした。