10月18日から24日まで、わたしの個展が、大阪の近鉄百貨店阿倍野橋店の美術画廊で開催された。
今年はこの個展に参加すべく、私は10月18日の早朝、ようやく東の空が明るくなり初めた頃に直通列車に乗り、ウィーン近郊のシュヴェヒャート国際空港にむかった。
早めにチェックインを済ませ、空港内のカフェでコーヒーとクロワッサンで朝食を摂っていると、上品な御婦人が通路を隔てた私の前の席に座り、紅茶をたのまれた。
持っていらした大きなバッグのジッパーを開けると、私達のエニーと同じイタリアングレーハウンドの小柄な可愛い顔がひょっこり現れて、私はびっくりしてしまった。
(ブレブレの写真で申し訳ありません。)
つい今朝方、自宅で別れたエニーを思いやり、どうしても親しみを感じて眼がそちらに吸い寄せられてしまう。
勇を鼓舞して何とか英語で話しかけてみると、あちらも嬉しそうに答えて下さり、写真撮影も快諾して下さった。
しばらくして私は午前9時35分発のKLM機に乗り込んだ。
経由地のアムステルダムのスキポール空港では、2時間50分のトランジットであった。
思いっきり広い空港なので、ぶらぶら散歩していればあっという間だろうと高をくくっていたが、2時間50分はさすがに長く、朝も早かったので結局30分ばかりゲートの前にある椅子に座って居眠りをしてしまった。
オランダの空は何故かいつもドラマチックだ。
広い空港の中には、国立美術館の分室まであるのだが、それはむしろミュージアムショップの支店と言った方が良いかもしれない。
とは言え、たまたまそこに展示されていたオランダバロック期の静物画家、ウィレム・クラース・ヘーダの見事な作品に私はついつい見入ってしまった。
ウィーン、アムステルダム間は約2時間だが、ここから関西国際空港までは約10時間の空の旅だ。
年をとるにしたがってこの10時間が次第に辛いものに感じられるようになって来たのだが、今回は幾分その辛さを忘れられるような気がした。
と言うのも、以前は天井からいくつかぶら下がっていたモニターの画面が、今時の旅客機だと前の座席の背もたれに各自一人に一つずつ取り付けられ、手元のスイッチを操作して好きな時に好きなだけ映画などが見られるようになっていたからだ。
映画の好きな私は、機内食を食べながらひたすら映画を見続けた。
そして4本ばかり見終えてしばらくウトウトした頃、私達は無事関西空港に到着したのであった。
ところが、ラフな格好の一人旅の私は、大麻が解禁されているアムステルダムからの到着ということで、当然の如く税関で目を付けられてしまった。
スーツケースを開けて丹念に調べられ、衝立てで囲まれたところに連れて行かれ「靴を脱いで下さい」と言われて靴底まで丹念に調べられた。
何故なら、このときの私はスイス
MBT社製の「マサイ」と言う名前の、殊更靴底の分厚い特殊なウォーキングシューズを履いていたのだった。
これら全ては、私にとって不愉快というよりも初めての経験だったので何となく面白く感じられた。
若い係員の人達の、私に対する応対も結構丁寧だったように思う。
10月19日のお昼前に到着した大阪は土砂降りの雨だった。
ヨーロッパとは明らかに違う湿気を多く含んだ空気に触れ、列車の窓から見える小さな立て込んだ家並を目にすると、いつもの事だけど、懐かしさと疎ましさの混じり合った独特の感情がわいて来る。
成田・東京間でもそうなのだが、私のふるさと大阪ともなると、この感情が一段と強くなるような気がした。
天王寺の駅前にある
都ホテルに着いたのは11時半頃だっただろうか。
チェックインは午後2時からなので、なるべく早く1時半頃にチェックインしてもらうよう頼んでからスーツケースだけ預けて、ホテルのロビーでコーヒーとケーキをとったり、近くをうろうろと歩き回ったりして時間をつぶさねばならなかった。
雨が降っていなければもう少し足を伸ばしていたかもしれないが、ひさしぶりにコテコテの大阪弁を聞きながら駅前の商店街を見ているだけで十分面白かった。
私の中に眠っていた大阪人の血が、沸々と湧き出して来るのが分かった。
1時半にチェックインを済ませ、通された部屋は最上階16階のツインルームで、その眺めの良さと部屋の広さに私は単純に嬉しくなってしまった。
(これは翌日の朝の写真)
しかしのんびりと眺めを楽しむ暇はない。
2時半には小さい頃からずっとお世話になっている親戚の方が、お友達と一緒に会場に来て下さるというのである。
ちゃんとした服装に着替え、お土産にと持って来たウィーン名物の栗チョコレートを何箱かもって、ホテルのすぐ隣にある阿倍野近鉄百貨店6階の美術画廊に向かった。
(これも翌日朝の写真)
広大な敷地の百貨店内をさまよいながら、少々奥まったところにある美術画廊にたどり着き、画廊の店員さんや応援の画商さん達と初対面の挨拶をかわす。
かなり広い画廊で、展示してある作品展数は30点以上あるように見受けられた。
美術画廊の入り口
ご覧のように広々とした内部。
入り口手前のショウウィンドウに並べられた作品。
額縁はどれも手作りの特注品で、美しくしっかりしたものだ。
こうやってすべて額に入れられて並んでいる自分の作品が見れるのは、2年に一度の個展のための帰国のときだけだ。
それは、もうそれだけで作者の私としてはかなり幸福な気分なのだが、正直に言うと、この私の作品を、色んな方が高いお金を出して購入して下さるというのは、私にとってどれだけお礼を言っても追っ付かないほどの有り難い事に思われるのである。
それはさておき、会場の写真を撮ったり、画商のMさんやYさんと談笑したり、21日の日曜日に予定されているトークショウの打ち合わせを、司会をして下さるMさんと共にやっているうちに、親戚のOさんとご友人のKさんが、しのつく雨の中わざわざわやって来て下さった。
私が赤ん坊の頃、忙しい母に代わっておむつを取り替えて下さったりしたOさんなので、いつ会っても私は頭が上がらない。
もう70歳を過ぎているのに、いつまでもお元気な方で、昨日はゴルフ、明日からは台湾旅行に行かれるというので、お忙しい中来て下さったのだ。
Oさんは、お友達と一緒に丹念に私の絵を鑑賞して下さりながら種々談笑し、5時頃にお別れした。
その後、私は身体的にはかなり疲れていたので、しばらくしてホテルに帰らせていただく事にした。
しかし、夕飯を食べに外に出るついでに、私はある場所に行くことを決心した。
身体的な疲れを押してでも行きたい所が会ったのだ。
その事についてはまた後ほど書く。
時差ボケというのはあまり今まで意識した事は無かったが、翌日20日の朝は午前4時頃に目が覚め、あまりぐっすりと眠れた感じがしなかった。
もう一度寝ようとしたが、なかなか寝付かず。あきらめてベッドでぼんやりTVを見て過ごす事にした。
結局日本にいる間ずっとこんな風だった。
で、この時差ボケが治ったのはウィーンに帰ってからで、それはつまりウィーンでまた時差ボケになってしまったという事だ。
つづく