ウィーンの美術史美術館は、西欧の美術史を色どる数々の巨匠の名作をあまた所蔵している。
もしもその中から一点、最もあなたの好きな作品を選びなさいと言われたなら、迷う事なく私はイタリアルネッサンスの巨匠、ラファエロ・サンツィオの「草原の聖母」を上げる事だろう。
美術史美術館に行き、この絵の前に立つと私はいつも、言葉もなく時の経つのも忘れてただひたすら見入るばかりなのだ。
ラファエロは、わずか三十七歳で亡くなったのだが、「仕事のし過ぎで死んだ」という噂が残るほどの大量の傑作をを残した。
その生涯は、音楽におけるモーツァルトと同様の、人類文化史上の奇跡と言って良いだろう。その彼の傑作群の中でも「聖母子」は、生前から現在に至まで最も人気の高い主題である。そして数あるラファエロの「聖母子」の中でも、この「草原の聖母」には特有の気品が備わっていて、それはあたかも、この聖母が現在お住まいになっている、ウィーンという町の雰囲気と何かしら呼応しているように私には感じられるのだ。
背景のなだらかな丘陵の田園風景は、まごう事なく彼の故郷ウンブリアの風景で、ウンブリア州の州都ペルージァに二年間滞在した事のある私にとっても非常に懐かしさを感じる風景だ。
遥か遠くに向かって緑から青に変化する色調や空に浮かぶ雲、聖母や幼な児のキリストと聖ヨハネの肌の色、そして聖母の衣装の赤と青など、どの色を見ても、あたかも長い年月をかけて熟成した美酒の味わいのような何とも言えない美しさで、固有色の極致と言っても良いのかもしれない。
さらに聖母の頭部を頂点とし、青い衣装からちらりと出した聖母の右足先と、聖ヨハネの膝をついた右足先を結ぶ線を底辺とする、みごとな三角形の構図がもたらす重厚な安定感。
これらの総和としての、この一枚の絵が、私に感じさせてくれるものは静かな幸福感である。
しかしながら、伏し目がちで口元にかすかな微笑みを漂わせている聖母マリアの美しいお顔を眺めていると、不思議とある種の悲しみの様なものが感じられる。ひょっとしたら、息子の決して幸福とは言えない未来を予見しているのかもしれない。
確かにこの絵に描かれた幸福な三人の姿は、キリストの刑死と言う、(地上的な意味では)悲劇的な結末を予定されているのだが、それゆえにこそ、絵画として永久に定着されたその姿は、かえって「この世では決して手に入れる事の出来ない、絶対的幸福」というものを私に感じさせてくれるのだと思う。
ともあれ、八歳の時に母をなくしたラファエロにとって「聖母子」というテーマには特別な思いがあったに違いない。